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間もなくやってくる6月第3日曜日の「父の日」のこと

5月14日は「母の日」でした。海の向こうでは、大リーグのエンジェルスで投打の二刀流で活躍する大谷翔平選手が、ピンクのシューズを履いて出場している光景が話題になりましたが、一方、「父の日」は6月第3日曜日の18日です。
ではなぜ第3日曜日なのかgoogleで調べたところ、牧師教会へ嘆願したアメリカのワシントン州在住のドット夫人の父親の誕生日が1910年の6月で、18日の第3日曜日に礼拝をしてもらったことがきっかけだと言われていることを知りました。

 私も、毎年こども達から「父の日」にプレゼントが届いていますが、通勤途中で駅構内や車内で「父の日にやりたいこと」のタイトルで、小学校4年生の作文を見つけました。作文集「父の日にお父さんがいない」から、掲出されていた文章をご紹介しましょう。

お父さんとまたレストランに行きたい。また野球の試合を見たい。父の日は、お父さんを忘れないように思いだして泣きたい。いつか大きくなったら、お父さんがなった病気を治せる医者になりたい。

 この文章をポスターにして掲出したのは、“その夢に、次の一歩を〜親を亡くした子どもたちに、教育の機会を”と呼びかけている一般財団法人あしなが育英会(03−3221−0888)。
この呼び掛けの文章は、これまで何度も見る機会がありましたが、今改めて読み返し、そして自身のことをよくよく振り返ってみると、そういえば野球少年だったけれども、父親とキャッチボールをしたことも野球観戦にも行くことはなかったものの、思い出はたくさんありました。父は、無類の酒好きで、人生の終焉は肝硬変になり、医師からアルコールを断つように言われましたが辞めませんでした。
通夜の数日前に、たまたま父が寝ていた部屋の整理をしていたところ、きちんと畳まれた布団の間に、ポケットウイスキーが何本も見つかりました。夜中、家族が寝静まった頃に、ウイスキーを飲んでいたのでしょう。わたしたち家族は、そのウイスキーを見て涙が止まりませんでした。
自分の命を縮めてまでも飲みたかったであろうウイスキーの瓶。「だったら、もっと飲ませてあげたかった」と悔やんだものです。手を引かれていった海での潮干狩り、動物園、夜勤に行く父の後ろ姿…。「父の日にやりたいこと」の文章を読み、父との思い出が走馬灯の如く蘇ってきました。父は、75歳でひっそりと病院のベッドで人生の幕を閉じました。
あしなが育英会が掲出した、父との思い出を蘇らせていただいた小学4年生の文章は、とても素晴らしく感動的な文章でした。 (文・山本武道

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