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PEGの取材で出会った人々との懐かしき思い出

 『週刊がん もっといい日』の扉の上段に、平成の一休さんの壮絶な闘病記が掲載されています。食道がんに侵され死の淵を何度もさまよい、奇跡的に生還した西宮宗春さんのストーリーです。西宮さんの命を救ったのはPEG(Percutaneous Endoscopic Gastrostomy=経皮内視鏡的胃瘻造設術)でした。PEGについては本欄でも紹介しましたが、内視鏡を使って「お腹に小さな穴」を造る手術のことです。

 この口のことを「胃ろう」と呼び、何らかの要因で口から食事のとれない場合に、お腹に取り付けた口にカテーテルという管を通じ、直接胃に栄養を入れる栄養療法であり、西宮さんはPEGの専門医と出会い造設手術を受けました。七転八倒の苦しみから解放され、「PEGと出会っていなかったら、とっくに死んでしまっていたと思う」と笑顔で語っていた西宮さんの取材を契機に、PEGに関心を持ち患者さんにお会いするようになりました。

 ある日は、重度の肺炎で1か月間に及ぶ意識不明から生還された患者さんは、食事ができずIVH(中心静脈栄養法)の針を無意識に取り去る状態が続いたことから、入院先の病院から専門医を紹介されPEGを装着したもらい、お腹の口からの栄養療法が始まりました。患者さんは1か月後に意識を取り戻し退院。自宅療養に切り替えられました。

 PEGの造設を手掛けてきた専門医は、「患者さんに、手術をする必然性をどう正確に伝えることができるか。できれば退院後の状況をビデオで紹介していきたい」とインフォームドコンセントの武器として患者と家族の視覚に訴えるビデオの活用を力説していましたが、この訴えに協力したのが、32歳で不運の事故死を遂げた若き医師の父親でした。

 「私は医師としての息子が、どのような業務に携わっていたのか知りませんでしたが、

勤務先で息子が治療にPEGによる栄養療法をと入れていたことを知りました」と話す父親は、さらにビデオの製作を訴えた専門医に、息子さんが手ほどきを受けていたことも知ったのでした。

 父親は、32歳の生涯を終えた息子さんの足跡をたどり、多くの関係者と会い1冊の書を書き上げました。タイトルは、『蒼竜は天に昇った―医師 二宮竜太32歳の生涯』(二宮英温著)。竜太さんの1周忌にちなみ刊行されました。

偶然といえば偶然でしたが、PEG造設に造詣の深い専門医、患者の西宮宗春さん、ビデオ制作に協力された父親、そして亡くなられた息子さんが専門医から手ほどきを受けていた―PEGの介在として点が線となったのです。

 さて今週もまた、皆さまにとって「もっといい日」でありますように・・・。

 『週刊がん もっといい日』編集長 山本武道

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