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9月15日 編集長からのメッセージ

少年野球の監督として学んだ選手たちとの触れ合い

 「山本さん 話があるので、私の自宅へ来てくれませんか?」

 少年野球の練習を終えたある日、帰宅しようと思っていた矢先に、当時、地元の少年野球チームの監督をされていた指導者から声をかけられました。二人で話をする機会がありませんでしたから、「ひょっとしたら飲むのかな?」とそんな軽い気持ちで監督宅へお伺いしましたところ、一緒に酒を飲む話ではありませんでした。

 「山本さん、実はお願いがあるのですが・・・」と切り出されたことは、「あなたに私の次の監督になってほしいのです」、そして渡されたのは、背番号30番のユニフォームでした。子供が、チームに所属していた関係で、選手の送り迎え程度ならとお手伝いをするようになってからしばらくのことでした。正直言って、プロ野球や社会人野球観戦にはよく行きましたが、地元チームの指導者(コーチ)となる技術は持ち合わせていなかったし、ほかにも高校野球の経験者もいるから、考えたこともなかった私にいきなり「監督に・・・」といわれても、どう回答していいかわからなかったので、即お断りしました。

 しかし、「監督は、たとえ高校で野球をやっていなくても、山本さんだったらできるから・・・・」と何度も説得されました。それまで、チーム遠征のドラーバー役だったのですが、ある日、指導者たちが飲む席に誘われた際に、いわれた言葉が私の心に突き刺さりました。「ぜひ一緒に選手たちと遊びませんか?勝つことも大切ですし、勝てばみんなうれしい。だけど選手たちに、まずは野球の楽しみを教えていくことも大切なんです。だから難しいことなんてありませんよ。気軽にやりましょう」

 「そうなんだ。監督は、何でもかんでも自分でやるのではなく、若い指導者たちは技術を教えてもらい、監督とは選手たちの心のケアをすればいいのではないか…」と思い、監督を引き受けました。選手たちの心のケアには、100%こうでなければならないという方程式はありません。なぜならば選手一人ひとりの性格も違うから、すべて同じように対応することはできないからです。ならば何ができるですが、これまでのお手伝いをしていたことを振り返ると、いつも目にするのはレギュラーとして毎回試合にでる選手の両親が、大声で我が子を応援する光景でした。それはそれでほほえましいことではありますが、私がベンチで見たのは、試合に出られない選手でした。

 ただ、試合には出られないけれども試合を応援している選手もいれば、なかにはベンチで砂いじりをしている選手もいましたが、たまたま、ほとんど試合に出られない選手の母親が、パートを休んで応援に来られたのですが、現実に見た光景は、ベンチで砂いじりをしている我が子の姿でした。で、この時にお母さんがどんな気持ちでおられたか知る由もありませんが。同じベンチではレギュラー選手のお母さんたちが大声を出していたのは当たり前の光景ではありますが、このときに、試合にはなかなか出場でいない選手に、何か一つチームのためにやることを考えたらと思いましたが、指導者ではありませんでしたが、何もできなかったことが悔やまれました。

 そして監督に推薦され30番の背番号をつけたユニフォームを着て練習に出るようになってからは、練習のスケジュールは合議制にして、コーチの意見を積極的に取り入れ、当初は盗塁のサインも出していましたが、ある日を境に任せて、私自身はひたすらベンチにいて砂いじりする選手が出ないように考えました。そこで始めたことは、選手はいったい、どのようなことがわからないのか、中には、コーチには話せない選手もいましたから、監督と選手の交換ノートを始めました。

 口では言えなくても文章にすれば、今選手が何で悩んでいるか、こんなことを知りたがっていることなどが、たくさん書かれていました。練習が終わってから選手一人ひとりを呼び、「監督に聞いてもらいこと、聞きたいこと、困ったことがあれば書いてきなさい」と伝えました。土曜にノートを渡し、良く日の日曜の練習日に持ってこさせましたが、ただしノートは監督と選手だけ。コーチや親には見せない約束をしました。

 案の定、普段無口な選手から、野球が上手な選手から、思いもよらない質問がたくさんありました。その一つにショートバウンドって、どのようなことですか?ストライクが入らないけれど、どうしたらいいですか、打てない、ゴロのとり方が分からない・・・。土曜の練習が終わってから、コーチと夜遅くまで飲んでも、選手がわからないと言ってきたことに対して回答を書いて選手に渡しました。

 そう、こんなやり取りが何年続いたことでしょうか。普段練習時に噛んで含めるようにコーチが指導しても実際には、理解していない選手が多かったのです。口で言えなくても、文章にすれば悩み事を書いてくれることが分かりました。結局、私が監督をしたチームは、全部で4チーム。初めは幼稚園や小学一年生。なにもわからずに入団して、太っていて走ることができず泣きながら歩きだした選手の手をつないでグランドを走ったこと、バットが頭にぶつかったこと、ボールが指の間に挟まり裂けてしまった選手・・・懐かしい限りです。やがて6年生になり卒部。それが4回繰り返しましたが、その間は、私は選手たちを指導しただけではなく、多分一緒に遊んでもらったのではないとも思っています。

 私が監督としての最後のチームでの6年間の出来事をまとめ、『ある少年野球チームの物語 監督の独り言』のタイトルで、手作りの冊子をつくり選手と親御さんにお渡ししましたが、改めて読み返すと当時のことが走馬灯のごとく蘇ってきました。最後までお読みいただきありがとうございます。

 さて今週もまた、皆さまにとって「もっといい日」でありまように・・・。

『週刊がん もっといい日』編集長 山本武道

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