がん患者さんと家族のためのWEBサイト

8月25日今週の焦点

末期がん患者を支えた家族、そして慢性疼痛治療薬との出逢い

とてつもない痛み。この痛みをどうしたら解消することができるのだろうか。取材先では、いろいろな場面にでくわすことが多い。ある日、あらかじめ連絡をしていた、がん患者宅に行った時のことだった。

 患者は、ドクターから処方された、貼って痛み止めを抑える慢性治療薬を使用したばかりで、「たった今、寝たところなんだ」―末期がんの患者を看病するご主人が話してくれた。

 「最初は、モルヒネを注射してもらっていたんだが、細い腕に注射を何度もするなんてかわいそうで見てられない。そこで、お医者様と相談して飲み薬に変えてもらった。ところがしばらくすると、今度は吐き気が出て飲めなくなってしまったので、貼って痛みを止める薬に変えてもらったところ、ようやく落ち着いたんだ。家内には、この薬が合っていて元気な時には話をしてくれるようになった。だが、薬代が高くて・・・。幸い私自身は、不動産会社の社長なので、経済的余裕はあったし、自分で家内を介護することができた」

 確かに当時、この慢性疼痛治療薬の薬価は高額だった。最愛の夫人が病に倒れ、しかも末期がん。ご主人は、何が何でも最期まで諦めずに看病を続け、最終的に痛みを解消し、一時的にでも笑顔を見せてくれたことに感謝していたことが思い出される。「家内のために全財産を投じてもおしくない」と言っているようだった。

 末期がん患者宅を取材したことがきっかけで、この治療薬を開発した製薬メーカーのトップにお会いした。社名は、薬剤の開発者の名をとりネーミングされたことをお聞きした。何度も同社を訪問し取材を重ねるうちに、ふと、「この会社はいつも暖かい風が吹えている」と思うようになった。

 ある日、社内報に「原稿を書いてもらいたい」と依頼があった。テーマは自由でいいということだったが、「そうだ、この会社には、なんとなく暖かい風が吹いているような感じがするから・・・」と書いた内容は、岡山県の牛窓にある『オリーブの丘』のことだった。

 何の変哲もないオリーブ。地味な植物で、葉の裏に光が当たると銀色に光ることから、私は勝手に“銀葉樹”と名付けた。なぜこの地にオリーブが育ったのか知りたかったし、旧約聖書にもオリーブが出てくることも知った。世の中の乱れを悲しんだ神様が、正直者のノアに命じ大きな箱舟を作らせて、たくさんの動物(つがい)を乗せて荒れ狂う海原に出航する。

 次々と世界が荒波に沈むなか、やがて暴風雨が静まったことを見計って1羽のハトを飛ばしたところ、戻ってきたハトがくわえていたのがオリーブだったのだ。タバコ(紙タバコ)のピースのデザインにはハトがオリーブをくわえているし、オリンピックのマラソンの勝利者にはオリーブの葉でできた冠が贈られている。

 そういえば、この『オリーブの丘』で、オリーブだけを描く一人の画家と出逢った。来る日も来る日も、ひたすら描くのは、すべてオリーブばかり。丘に建てられたアトリエで、“チビ象さとちゃん”の考案者で知られる大槻 彰さん(故人:元佐藤製薬の宣伝部長・自然療法学会会長)に紹介された。

 この画家のことは後に知ったが、日本芸術院会員の佐竹徳さん(本名:佐竹徳次郎)で、牛窓のオリーブをこよなく愛し1997年2月3日にお亡くなりになるまでの約40年間、絵画を通じて牛窓の素晴らしさを世に広めた方である。 アトリエで長靴をはいた佐竹画家と大槻さんと3人で歓談したことも良い思い出になっている。今、考えると、オリーブには何か人を引き付ける、磁石のような力が備わっているのではないかと思えるほどの植物だ。

 話は、慢性疼痛治療薬からオリーブとそれたが、暖かい風が吹ていた『オリーブの丘』のある牛窓、製薬メーカー、そして、がん治療やケアには暖かい心が不可欠になる。懇意にしていただいていた日野原重明医師は、ターミナルケア施設では常に患者の両手を握りしめ声をかけられていた。きっと患者は、肌を通じ日野原医師の温かさを十分に感じ取っていたと思う。(山本武道記)

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