8月4日からスタートしました『週刊がん もっといい日』は、まだ情報不足で皆様からおしかりを受けそうですが、コロナ禍の折、少しでも多くの情報をご提供したいと頑張っております。
さて今回は、私がどのような理由で月刊誌『月刊がん もっといい日』の発行業務に参加し、休刊となってからWEBサイト『週刊がん もっといい日』に携わるようになったかについて紹介しましょう。
私の両親は、父、母ともにがんで亡くしたこともありますが、もともとは雑誌を通じ、がん情報の提供を始めたのは、弟さんががんに罹患し「もう助からない」といわれ、「何とかして弟を救いたい」と、お兄さんが各地の医療機関を訪ねたことがきっかけだったそうです。ところが、がん情報をわかりやすく解説した書籍や雑誌を探したものの見つからず、思い立ったのが、医療知識がなくても誰もが、がんに関する情報を手軽に入手できる雑誌の創刊でした。
そしてデビューしたのが、当時としては数少ない一般消費者向けの雑誌でしたが、『月刊がん もっといい日』と名付けられた背景には、「患者さんとご家族にとって、さらに良い日が迎えられるように・・・」という出版社(日本医療情報出版社)の思いがこもられていたからです。
結局、がん雑誌の創刊を思い立ったお兄さんの願いもむなしく、弟さんは亡くなられましたが、その思いは多くの編集者や記者たちに受け継がれ、ヘルスケア関連専門新聞社を創刊した人物が出版社の社長兼任となった際に、かつて共に同じ職場にいた関係で私に「手伝ってほしい」と依頼され、いつのまにか、がん雑誌作りにのめり込んでいた自分がいました。素晴らしい雑誌でした。
そこで知り合った著名人の方々は、こころよくインタビューに登場していただき、編集者の一人として取材にも出かけ、人それぞれの“がん人生”があることを知りました。ただ残念なことに、『月刊がん もっといい日』は諸事情から休刊することをオーナーから告げられたのです。
最終号で読者の方々に休刊のお知らせをし、お支払いいただいていた購読料をもれなく購読者の皆さまに返金しました。2006年1月のことだったと記憶していますが、雑誌が届いたころから社の電話が鳴りっぱなしの状態になったのです。「よりどころにしていたのに・・・」「絶対に辞めないでほしい」「もっと続けて欲しかった」-たくさんのメールや電話と共に、山のように現金書留が編集部に送られてきました。
「ささやかですが、雑誌復活に利用してください」「何とかして雑誌を続けていただきたいので、せっかく返金していただきましたが再度送ります」等々、涙が出て止まりませんでした。小さな出版社の編集者に届いた手紙、メール、電話に温かい心を感じました。
「何とかしたいが、雑誌の出版を続けることはできないし、どうしたらよいか」と考えていた私の頭に、ふと「インターネットであれば、今まで以上の方々に情報は届けられるのでは・・・」でした。休刊となって即「週刊がん もっといい日」が始まったのです。
それから10数年、慣れないながらも若いスタッフに教えられて更新作業が続きましたが、ある日、いつものように夜中に更新をしていた際に突然、画面がフリーズしてしまい、二度と動きませんでした。知人の専門家に修理を依頼しましたが、びくともせずどうにもならなくなり中断をしたというのが真実です。
本当に愛読者の皆様にはお詫びのしようがありませんが、これまで蓄積していたデータの修復は難しいので思い切って新しいサイトとして知人にリニューアルしていただき、やっと8月4日に第1号をご提供することができました。まだまだ情報不足ですが、読者の皆様にお役に立てられるよう、情報を収集し提供してまいりますので、よろしくお願いいたします。
皆様にとって今週もまた「もっといい日」でありますように・・・。
『週刊がん もっといい日』編集長 山本武道