30年以上に及ぶ少年野球の指導者人生は、とても実りあるものでした。少年球野の真髄は、勝つことも確かに大切ではありますが、成人してからも「少年野球やって良かった」と記憶の底に僅かでも残っていればいいなと思ったりします。
もちろん指導者としてチームで激論を交わしたこともあり、練習後に近くの居酒屋でのノミニュケーション、選手が怪我をしたとき、心臓がドキドキ破裂するのではないかと心配したことも数多く多くありました。毎週二日間の練習は、私にとっては大切な日々でしたし、若いご父兄の方たちとの触れ合いも楽しいことばかりでしたが、その一方、苦楽を共にしたコーチとの辛い別れもありました。チーム結成から、来る日も来る日も試合に負け続け、時にはやけ酒とはならないまでも、「少年野球は勝つばかりじゃない」と思いながらも、「あんなに練習したのに、また負けてしまった」と悔やみ、どうしたら勝てるようになるかと夜遅くまで話し合った指導者が、がんのために二人が亡くなりました。
一人は肺がん、もう一人は胃がんでしたが、とにかく熱心で人可愛い選手たちと交流していた光景が瞼に浮かんできます。夏の合宿には選手たちと夕飯を作り、口いっぱいに焼肉を頬張っていたコーチ、真夜中に選手たちとカブトムシを捕りに行ったコーチ。がんに罹患したことは、症状が進んでから打ち明けられましたが、それでも自宅で療養しながら、野球談義に花を咲かせたこともありました。
あるコーチが入院した際には、選手たちが寄せ書きに、「早く良くなってねコーチ」「僕たちはグランドで待っているからね」など、思い思いに書いてくれましたが、残念ながらある日未明に亡くなりました。死因はがんではありませんでしたが、とにかく熱心な指導で、私ともとてもうまが合う方でした。
辛い別れがありましたが、いつも今頃になると選手たちに年賀状を書いてきました。毎年の選手との賀状のやりとりは、選手の成長の過程が綴られており、今年もハガキを読み返して、その頃の思い出に浸っています。皆さまの中にも、指導者として活躍された方は少なくないでしょう。その頃のことを、どう思い出されていますか?
さて来年もまた、皆さまにとって「もっといい年」でありますように…。
『週刊がん もっといい日』編集長 山本武道